2014-06-28

やっぱり日本の地方都市最高

黒川温泉へ行ってみた!
ひとことで言うと、本当に行ってみてよかった。なかなか行きづらい場所にあるのだが、それを逆手に取ったとも言える秘境っぽさやこじんまりとした小ぎれいな町並みも相まって、「これはわざわざ来る価値があるなあ」と思わされる。

顔湯。温泉の湯気がもくもく出てくる。もちろんやった。

黒川温泉には入湯手形というのがあって、これを買うといろんな旅館の温泉に入ることができる。
手形は輪切り(?)にされた木に焼き印が押されたもの。上の写真は使用済みの手形が絵馬として神社に奉納されている様子である。見た目もきれいだし、からんからんとぶつかる音も小気味よい。

今回お世話になったのは「のし湯」というお宿。
自然がいっぱいのお庭の中に、露天っぽい家族風呂が何種類もあって楽しい。

お部屋は和室なんだけど、入ってすぐのところにはテレビが見られるソファーがあった。
お部屋のしぶさは昔の文豪がこもって小説執筆してそうでいいかんじ。

この写真だとあまりよくわからないけど、部屋にも石風呂がついていた。
いっぱいお風呂があったので、部屋の石風呂は足湯だけしてみた。なんという贅沢!

このお宿で働いている人には若い人が多いように見受けられた。
受付の人や、配膳をしてくれる人も若い人。中ですれ違う人も若い…というか、同年代。30代中盤くらい。温泉によっては働いている人の高齢化が進んでいる場所もあるので、おもしろいなあと思った。(それはそれでいい味が出てたりするけど)
ひなびた温泉街だった黒川を立て直したのは、若い人たちの力だという話を聞いたことがある。旅館同士で競い合うのではなく、街全体で場所を盛り上げて行こうとする取り組みが機能しているのをひしひしと感じた。
きっと、若い人たちのアイディアや試みを、上の世代の人たちも喜んで取り入れているのだろう。場所としての魅力が増して、働きたいという人が集まって、どんどんその場所が盛り上がっていく。今後、働く人の年齢がどんどん上がっていくという日本で、黒川温泉で起こったことは結構いろんなところで参考にできるのかもしれない。

ところ変わってこちらは本州の田舎。
新しい新幹線ーー!!静かだし、中は清潔だし、揺れもほとんどなくて乗り心地最高。日本のインフラばんざーい!
アメリカの電車は、きいきいうるさいし、「これ脱線するんじゃ…」ってくらい揺れたりする。そんな中で携帯やPCの画面を見ていたらてきめんに酔う。もう!こっちは温室育ちの日本人なのよ!

商店街に昔からあるお茶屋さん。和カフェみたいなことをやっているらしいのでふらりと入ってみた。
お抹茶ときなこがかかった白玉だんごのセットが500円くらいでなかなかおいしかった。
1時間くらいだらだらしていたのだが、田舎にも関わらずひっきりなしにお客さんがやってくる。
やっぱりこのお店も同年代くらいの夫婦が切り盛りしているようで、メニューが昔より多角化していた。その夫婦の親にあたるであろう60代くらいの人は、もっぱらにこにことお手伝いをしていて、お客さんに難しいことを聞かれると、若い夫婦に確認をしていた。

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こんな事例を見て、ビジネスや地方活性化の鍵は「若者に任せること」なんじゃないかなあという、しごく単純かつ、ありがちな意見を再確認した。
どんどん平均年齢が高齢化していくのだから、高齢者のニーズをつかむことが大事だ!という話もわかるんだけど、それだとその場所なりビジネスなりに若者が魅力を感じず、結果若者が来なくて新陳代謝ができない。なんだかいびつな日本の政治みたいになってしまいそうだ。若者が仕事と収入を得る機会も奪われてしまうだろうし。

居心地の良い地方都市で露天風呂につかりながら、「高齢化社会の中で『年功序列』は非効率的なやり方なんだろうなあ」と思った次第であった。


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過去関連記事

2014-06-13

父の手料理に見る人の影響力と時代の変わり目(大げさ)

その日の父は、なんだかちょっと違った。
いつも食卓にご飯が並ぶまでパソコンに向かってる仕事をしているくせに、「ご飯の用意しなきゃな」とか言って、配膳を手伝おうとしている。
わたしの夫が遊びにきているからはしゃいでいるのかなーと眺めていたら、母から衝撃発言。

「お父さんの作ったお味噌汁、食べてね」

!!!!????
お父さんの!?作った!?お味噌汁、だとー!?!?
「はあ!?」
妹が意味不明と訴えんばかりの声をあげた。彼女が声をあげなかったら、わたしが何か言っていたと思う。そのくらい、めずらしい出来事だったのである。

結局、母がほとんど配膳した。
父作のお椀によそわれたお味噌汁は、輪切りにされた若竹と何やら魚のようなものが入っている。
「筍と鯖缶のお味噌汁だって」
聞いたことないメニューを母が説明する。いただきまーすと、おつゆを口に運ぶ。
「ん、これおいしいじゃん」
「わー、おいしいー」
わたしと夫が口々に感想を述べるが、照れくさいのか「うん」とうなずいただけで、父は何も言わない。
「おいしいけどさー…わたし、お父さんの料理って生まれて初めて食べた」
妹が釈然としないような口調で不満を述べると、母が苦笑した。
「昔、お姉ちゃん(わたし)が小さい頃はチャーハンとか作ってくれたりしたよね」
フォローなのかよくわからない母の言葉に、やっぱり父は食べるふりをして無反応だった。
そう、わたしも母も、父の手料理を食べるのは実に20年ぶりくらいだった。
その横で、夫は気を遣ったのか否か、お味噌汁をおかわりしていた。

このできごとについて、「夫と久々に会えて嬉しくて手料理を振る舞ったのかなー?」と考えていたのだが、ちょっと違うような気がしてきた。

わたしはしょっちゅう、夫が作ってくれたおいしいご飯の写真を、母や弟、妹にメッセンジャーで送っている。わたしの夫は家で仕事をしていることもあり、平日ほぼ毎日ご飯を作ってくれるのだ。
そんなある日、弟の奥さんが「作ってもらいました!」と弟作のパスタの写真を家族全員に送ってきた。写真の中のカルボナーラは、なかなかおいしそうだった。
このような状況の中、今回、父の手料理が20年ぶりに登場したのは、
「もしかしてお父さん、わたしの夫や弟のように、自分は仕事だけじゃなくて家事もできるんだよアピールがしたかったんじゃないだろうか!」
と邪推をしてしまう。
そして、そんな父が、素直でいい奴だなー、と思えてきた。

きっかけはみんなに褒められたい、認められたい、という気持ちなのかもしれないが、自分は仕事をしていればいいと言わんばかりの父が母を手伝ったという事実はとても価値のあるものだと思う。
わたしはそんなことを狙って写真を送っていたわけではないけど、わたしの夫や弟がご飯を作るのを見て、父が「家のことは妻に任せて、男子厨房に入らず」みたいな古臭い形から脱皮しかけていると感じたのだ。
思わぬところから影響を受けて、人の考え方や行動が変わっていくのだなあと再確認させられた一件だった。

影響を及ぼす範囲というのは近い友達にとどまらないような気がする。
とても手が届かないような憧れの人だったり、ちょっと名前を知ってるくらいの出身地(学校)が同じ人だったり、ましてやインターネット上で書かれたものを見かけた知らない人だったり。
たぶん、中心から近い部分には大きな波が立つ波紋のように、その人が近ければ近いほど、自分の心に起こる波は大きいだろうけど、思いがけず遠くにも小さな波は届いている。
いいことも、悪いことも、そうやってどんどん伝わっていく。
自分の心に触れるものがあったら、それをじっくり観察してみて、真似したいものは単純に真似してみていいのかもなーと思った。
70歳の頭の固そうな地方在住のおじいさんである、わたしの父でも新しいことができたんだから、誰でも真似することはできそうだ。
そして、こういう影響の伝搬から、常識だったり、時代だったりが少しずつ変わっていくような気もする。
となると、信念に基づいた行動を随時公開することは、意味があるのかもしれない。
このブログも誰かの心に触れて、何かの行動を後押しできればいいなあなんて思った。

あ、今気づいたんだけど、お味噌汁の写真撮り忘れた!
きっと父は弟や義妹に「お父さん作だよ!」と写真を送ってもらいたかったに違いない。ごめんよーーー。
次回作に期待だ!